禅の初祖菩提達磨大師
10月5日は達磨忌でした。
お釈迦様から始まった尊い仏法が、仏祖、祖師様方に受け継がれ、菩提達磨大師に伝わりました。二十八祖となった達磨大師は中国に渡り、そのみ教えを正しく伝えました。禅、つまり実践を通したその教えはしっかりと根づき、達磨大師は「禅の初祖」と言われるようになりました。禅宗は大いに発展して五つの法系(五家…潙仰、臨済、曹洞、雲門、法眼)に展開しました。その中の曹洞宗が如浄禅師から道元禅師によって日本に伝えられました。
達磨大師の言葉に『廓然無聖(かくねんむしょう)』という言葉があります。禅宗では、とても大切にされている言葉です。
禅の教えを伝えた達磨大師がインドから中国にやってきた時、梁(古代中国の一国)を治めていた武帝と交わした問答の中に出てくる言葉です。
自分の功績や功徳を求めた武帝に対して、「無功徳」(なんの功徳もない)と応えた達磨大師に対して、それでは「真の功徳とはなんですか。」と問うた武帝に対して「廓然無聖… 晴れ渡った空のような存在だ。空なる存在であるこの身体を人間の物差しで量ることなどできないことだ。」と応えました。それでも納得のいかない武帝に対し、言葉での説明は限界と感じた達磨大師は、少林寺で9年間の坐禅を勤行することになりました。

梁の武帝は、損得や便利さにばかり判断基準を置く現代人にたとえられます。命がけの実践を通して、正法のみ教えを後世に伝えた達磨大師に思いを寄せて、この世界で生かされている一人の人間、もっと言えば一つの命ある存在として、自分の生き方を見直してみてください。

