令和六年十月の法話「自利利他の清掃」

令和六年十月の法話
自利利他の清掃

 秋彼岸中日(秋分)を境にようやく暑さ
も和らぎ、過ごしやすくなってきました。
 お彼岸を機にお寺の境内には掃除小僧さ
んの石像も戻って来ました。
 先代住職の時代に設置された掃除小僧さ
んですが、当時は石像の横に立札が立って
いました。そこには「お掃除は自分と他人
の身と心をきれいにする。」と書かれてい
ました。

 確かに自分の身の回りを掃除する、ゴミを拾う、整理整頓するという行
為は自然と自分の心がすっきりして心地よい気持ちになります。そして、
きれいに整った場所に来た人は同じように心地よい気持ちになります。
 修証義の第四章『発願利生』の一節に「利行は一法なり、普く自他を利
するなり」というお示しがあります。「利行…社会や人の利益の為に行う行
為は、自分と他人の区別のない真理であり、自分も、他人も、利益を与え
た者も、与えられた者も、同じように利益を受けるのです。」という意味で
す。この世は仏さまのいのちに包まれています。掃除をした人も、掃除を
してもらった人も同じように仏さまのようなきれいな心になるのです。
 大谷翔平さんは、自分からゴミ拾いをする行為は人の捨てた運をもらう
行為だと言って進んでゴミ拾いをするそうです。その行為も自利利他の菩
薩行だと思います。
 自分も他人も幸せに慣れる場所、お寺はお参りされる方、訪れる人達に
とってそんな場所でありたいです。
 過ごしやすい時節、自分も周囲の人達も身と心を浄めるために掃除や整
理整頓、ゴミ拾いを行ってみましょう。

谷田山東光寺住職石田泰光合掌

アクセスカウンター