令和六年 秋彼岸会を前に

令和六年
秋彼岸会を前に
暑かった夏が過ぎると秋のお彼岸がやってきます。
秋のお彼岸(今年は九月十九日からの一週間)は、ご先祖様を敬い、亡く
なった人を偲ぶ期間です。この期間に菩提寺の御本尊様とご先祖様のお墓を
お参りをして、命の尊さと頂いた多くの恩恵を思い起こし、仏様とご先祖様
に感謝の思いを伝えましょう。
今では日本独自の風習となったお彼岸ですが、もともとは仏教の「到彼岸」
に由来します。煩悩や迷いの多い此岸(現世)から悟りの世界である彼岸(あ
の世) へ至ること、またその修行を意味します。ですから、お彼岸期間中に
自分の生活を見直し、身も心も洗心する事を心掛けましょう。
お彼岸のお中日(九月二十二日) には、午前十時から当山秋彼岸会法要が
行われます。法要では一仏両祖様・歴代和尚様への法要に続いて、皆様のご
先祖様の追善供養法要が行われます。
また法要に引き続いて、今年の春彼岸会にもお招きした葵区長沼の法幢寺
住職、秋田弘隆老師の法話を予定しております。
秋田老師は、現世に生きる私たちが心も身体も健康になり、生き生きと生
きていくための古来からの実践法をわかりやすく、またユーモアを交えてお
話ししてくださいます。多くの皆様のお越しをお待ちしております。

今回同封させて頂いた明珠( 令和六年秋彼岸号)に谷龍嗣老師の法話が掲
載されています。その中で「行の供養」のお話がありました。
「行の供養」の大切さを説いたお経が、曹洞宗の宗典『修証義』の第五章
「行持報恩」です。
このお経にはお仏さまとの向き合い方が説かれています。お葬式で戒名を
授かり、仏さまの仲間入りを果たした故人ですが、実はそれで終わりではあ
りません。お釈迦さまがたくさんの方を導いたように遺された私たちを正し
く導くことで故人は仏さまとして育っていきます。
本文に「唯当に日日の行持、その報謝の正道なるべし」という一節があり
ます。これは、日々の行持こそが仏さまの恩に報いる正しい道であるという
意味です。「行持」というのは、生活や行動によってお釈迦さまの教えを実
践する曹洞宗の根幹となるものです。修行生活で言えば坐禅や掃除や食事の
作法でありますが、皆様の日々の社会生活も行持にすることができます。故
人が残してくれた教えや想いを胸に心穏やかに生きようと努めることで、日
常生活がそのまま行持となります。そして、そうした日々の行持が、仏さま
となった故人への恩に報いることであり、日々の追善供養「行の供養」でも
あるのです。
人とのお別れは、生前の関係性などによって様々な状況があります。その
方が大切なほど、受け止めるのに時間がかかるかもしれません。あるいは、
必ずしも亡くなった方との関係が良かったといえない場合もあるでしょう。
しかし、どんな関係性であったとしても、その生き様に学び人生の指針とし
て受け止めていくのが、仏さまとなられた故人と向き合うということです。
仏さまを生きる指針とし、自分の生き様によってその恩に報いる。それが
このお経で説かれる「行持報恩」という生き方です。
故人を仏さまとして大切に育てながら自らも正しい道を歩んでいく、これ
が供養における最も大切な心なのです。
谷田山東光寺住職石田泰光合掌

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