坐禅会 非思量NO.329廓然無聖

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廓然無聖かくねんむしょう

 晋山結制で行う晋山開堂という法要の中で、『達磨大師御詠歌(廓然)という御詠歌が詠まれます。新命和尚が初めて須弥壇上に登り、法問に答えられた後に下座する際に詠まれることが多いです。

伝えましうけつぎ来たり有難や 五葉ごように開く道のひとすじ

【意訳】

お釈迦様から始まった尊い仏法が、仏祖、祖師様方に受け継がれ、菩提達磨大師に伝わりました。二十八祖となった達磨大師は中国に渡り、そのみ教えを正しく伝えました。禅、つまり実践を通したその教えはしっかりと根づき、達磨大師は禅の初祖と言われるようになりました。禅宗は大いに発展して五つの法系(五家…潙仰、臨済、曹洞、雲門、法眼)に展開しました。その中の曹洞宗が如浄禅師から道元禅師によって日本に伝えられました。

 今年4月に、当山の晋山結制で首座に選ばれた泰平立僧(当山徒弟)が取り組む命題が、従容録第二則『廓然無聖』です。
この廓然無聖という言葉は、禅宗に於いてとても大切な言葉です。達磨大師が禅の教えを伝えたる為にインドから中国にやってきた時、梁(古代中国の一国)を治めていた武帝と交わした問答の中に出てきます。

 自分の功績や功徳を求めた武帝に対して、「無功徳」と応えた達磨大師は、更に真の功徳を求めた武帝に対して、「廓然無聖…晴れ渡った空のような存在だ。空なる存在であるこの身体を、人間の物差しで量ることなどできないことだ。」と答えました。
 それでも納得のいかない武帝に対し、言葉での説明は限界と感じた達磨大師は、少 林寺で9年間の坐禅を勤行されました。

『達磨図』先代住職画

 梁の武帝は、損得や便利さにばかりに判断基準を置く現代人にたとえられます。命がけの実践を通して、正法のみ教え(この世の真理)を後世に伝えた達磨大師に思いを寄せて、なかなか終息の見えないコロナ禍の世を正しく前向きに生き抜いてください。

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