冷暖自知 ~体験を通して学ぶ~
前回、紹介した五調(調身、調息、調心、食事、睡眠)は、32年前に私が大本山永平寺で実際に体験した事です。
禅の修行(永平寺の安居)は、型(所作や行為)を習い、その通りに行う事から始まりました。初めはただ習ったことを習ったように行う。それがどんな意味をもっているのか考える余裕はなく、とにかく型を学ぶ。必死で学ぶ。それだけでした。23才の私はそんな自分を「御山型人間」と表現していました。
私が初めに配属された寮は鐘洒(しょうしゃ)でした。鳴らし物と作務中心の公務。振鈴の(午前4時頃)2時間前に起きて、まず大学ノート(公務帳)に丸写しした公務を頭に叩き込みました。頭で覚えたつもりでも実際にやってみるとけちらし(失敗)の連続でした。鐘洒の公務のけちらしは、時計のない御山で時間を知らせる事が主な仕事のため、御山全体に影響が出ます。その責任は重く、大学時代に社会的な責任を免除してもらっていた私にとって集団で生活していく為の責任の大切さを学びました。
けちらさないために大切な事は事前の準備です。良い準備をすれば、けちらしを減らす事ができました。それでも実際にやってみないと解らないことがありました。ただ事前の準備をしっかりしておいた上でのけちらしは、自分でその原因が理解できて、次から気をつけることができました。徐々に、ただ公務帳通りに行っていた行為が自分で考え、自分で判断し、あらゆる場面で最適な対処のできる応用力が養われていきました。
例えば、公務帳には「鐘を中音で打つ」と書いてあっても、雨の日は雨音で聞こえにくいだろうなと考え、強く打ちました。そうした判断ができるようになってくると、自分の当たった以外の公務にも気を配れるようになり、全体を見渡せる広い視野が身に付きました。自分の公務だけが出来れば良いのではなく、他との兼ね合いを考慮して行動し、その公務の必要性を再確認する。初めは型だけから入ったものに後から心がついてくるといった感じでした。上山前は、頭の中でばかり悩み、何の行動も躊躇していた私が、とにかく行動し、そこから何かを学び取る日々を送ったのが、安居体験で一番心に残っていることです。
後にこのような私の心境を道元禅師は
『冷暖自知(冷暖自ずから知る)』と示
していることを学びました。
水が冷たいか暖かいかは、人からああ
だこうだと説明を聞くより、自分でさわ
ってみればすぐわかることだという教え
です。
仏法や禅の神髄というのは、師に教わ
ったり頭で学ぶものでなく、自らの体験
を通して得て悟るしかないという『教外
別伝』のみ教えでもあります。