受け継ぎたいみ教え
今年もお盆の季節となりました。
お盆は、年に一度のご先祖様のお里帰りです。 この期間に私たちは、ご先祖様から受けた数々の
恩を思い起こし、その中に込められた思いや教えについて考えたいものです。
『修証義 行持報恩』に「然あれば、即ち一日の行持、是れ諸仏の種子 なり、諸仏の行持なり」というお示しがあります。
「行持」とは、仏のいのちを行いたもつという意味です。もう少しわかりやすく言うと、ご先祖さまから受け継いだみ仏の修行(教えや行い)を継続していくことです。それが、そのまま諸仏を生み出す種子であり、それは仏の生き方であるという事です。
道元禅師の『正法眼蔵』を元に編纂された『修証義』の最終章に示されるこの一節は、私たちの正しい生き方を示していると言えます。
コロナ禍が長引き、温暖化が確実に自然を脅かしている現代において、過去にみ仏の種子を蒔いてくださったご先祖さまの教えや行いが、私たちを救済してくれる生きるヒントとなります。その生き方を実践していくことが、現代を生きる私たちの種蒔きであり、それは未来へと受け継がれていきます。
親から受け継いだみ教えは自分の中につぼみとなって育っています。その花を咲かせるのは自分自身です。現代人は悩みに偏りすぎているとも言われます。まず自分のやるべき事を、一つ一つ実践していきましょう。行いが整ってくると、必ず心も整ってきます。「行持」とは禅の実践、からだ優位の修行と言えます。体が自然(大宇宙)のバイオリズムに合ってきて、心に安定をもたらしてくれます。
それこそがみ仏の正しい生き方なのです。