非思量 NO.312

薫風自南来く ん ぷ う じ な ん ら い

令和4年4月30日、当山の新本堂の上棟式が行われました。
前日の雨で開催が心配されましたが、当日は爽やかな風が薫る晴天となりました。
薫風とは、新緑の間を風が吹き抜け、若々しい緑の香りをもたらしてくれるという意味です。
この時期によく紹介される禅語に「薫風自南来」があります。南から吹いてくる爽やかな風が、すべてのものの心を爽やかにしてくれる様子を表しています。また、この風を、インドから中国へ仏教を伝えた達磨大師ととらえる読み方もあります。
この語は、もともと唐の文宗皇帝が作った詩を受けて、柳公権という詩人が続けて一篇の詩としたものです。

薫風自南来 殿閣生微涼
  (薫風、南より来たる 殿閣、微涼を生ず)

「世の人々は夏の暑さを嫌がるが、私はその夏が長いことを好んでいる。」を受けて、「暑い中、時折吹く薫風によって宮中が清々しくなるのはとても心地よく、こんな気分は夏でないと味わえない。」と言った意味になります。
その後、この詩を庶民の苦しい暮らしを知らないが故のものとして批判する人物も現れたようですが、この言葉が禅語として重用されるのは薫風自南来という自然の情景を示す言葉を聞き、大慧禅師(臨済宗の高僧)が大悟したと言われるからです。
私たちは何かというと得失にこだわり、利害にとらわれ、愛憎にかたより、善悪にこだわり、右往左往する毎日です。
しかし、そのような対立的な観念を一陣の薫風によって吹き払ってしまえば、こだわりもなく、とらわれもなく、かたよりもない、自由自在なさっぱりとした清々しい涼味を感じることができます。そのカラッとした無心の境涯を「殿閣微涼を生ず」は示しているのです。

当山の新しい本堂もそのような禅の境地を伝え、学べる殿堂として建立されることを切に願っております。

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