非思量 NO.296

脚下照顧 (きゃっしょうこ) ~コロナ禍のお彼岸~

 長雨、猛暑の夏が過ぎ、今年も秋のお彼岸の季節となりました。

 なかなか終息の見通しが立たないコロナ禍の生活ですが、このような状況の時だからこそ、日本には春秋の季節の変わり目に「お彼岸」という行事がある意味を考えたいです。

 お彼岸は、今は亡きご先祖様との縁を思い起こし感謝と追慕の念を抱くことで今を生きる自分自身の生活を顧みる機会です。

 9月20日(彼岸入り)からの一週間は、日々の生活の中で損得や苦楽に偏ってしまった心を中道に戻し、自分の心を安定させる修行期間でもあります。お彼岸中にご先祖様のお墓参りをし、報恩感謝の塔婆を立て、ご先祖様の前で静かに手を合わせることで、自分自身が初心を取り戻すこと

(心をリセットすること)ができます。

 今年はコロナ禍の影響でご先祖様のお墓参りができない方もいるかと思います。それでもお彼岸の一週間は洗心の機会だと捉え、静かに自分の足元を見つめ、今の自分を反省する機会にしていただきたいです。

 お寺の玄関には「脚下照顧」と書いた立て札が置いてあります。これは、自分の履き物を丁寧に揃える行為を通して、目の前の今の自分を顧みることの大切さに気づかせる言葉です。

 禅の教えでは日常や身近な足下にこそ真理があると考えます。ついつい高い目標を立てて遠くばかり見ていたり、自分の行為を顧みず他人の責任ばかりを追及したりしている人には、まずは目の前の自分の足元を見つめなさいと戒めます。自分の幸せは気づいていない日常の生活の中にこそあります。

 不安から心が安定しにくいコロナ禍の世だからこそ、今年のお彼岸は「脚下照顧」の戒めの言葉を心に置きお過ごしいただきたいです。

 

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