非思量NO.292

放てば手に満てり

 道元禅師の「正法眼蔵弁道話」の言葉です。

 坐禅によって、思いを手放し執着を捨て心を空にすれば、真理と一体となった豊かな境地が手に入るという意味です。

 私たちはあれもほしいこれもほしいと物を持ちたがります。そして結局のところ、自分の周りに物があふれ身動きがとれなくなっているのではないでしょうか。物だけでなく心の持ち方もそうです。

 トリノ冬期オリンピックの金メダリスト荒川静香さんは、「メダルを取ろうなんてまったく考えないで滑ったら金メダルを取っていた。」と話しています。欲や執着を手放したところで最高のものを手に入れた一例です。

 道元禅師は、「只管打坐(しかんただ)」、つまりひたすら坐禅を組み、妄想を払えと説いています。

自分が世間からどう評価されているか気にしたり、自分はどう生きるべきか考えたりすることも雑念であり妄執であるから、これを坐禅に打ち込んで手放しなさいというのです。

手から放れたとき、自然と手に満ちてくる。何かをつかんだままの手は別のものをつかむことはできません。まず手放してみると結構つまらないものをつかんでいた自分に気付くことができるかもしれません。

必要なものはつかまなくてもきちんと残っているものです。

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