非思量 NO.287

こ  ま  つ は  ん に ゃ  を  だ ん じ       ゆ う ち ょ う し ん に ょ を ろ う す

古松談般若    幽鳥弄真如

古松…苔むした松の老木が、般若…仏の智慧のことを語らっている。  幽鳥…姿が見えない鳥の幽かな鳴き声が、真如…物事の真実のあり方を

歌い上げている。

この禅語は、悟りの世界を説き、歌うのは人間だけではない。木も草も、鳥も獣も、風も、せせらぎも、雲も、大地も、みな仏の世界、悟りの世界を語り、歌うのであるということを言っています。

前回、般若心経の「六根清浄」の解説で、「六根」を清浄にすれば、今まで見えなかったものも見えるようになると話しました。

鳥の鳴き声も、風にそよぐ木の葉のざわめきも、わたしたちが聴こうと思わなければ耳に入ってきません。

都市の暮らしは騒音に取り囲まれています。しかし、そういった騒々しい慌ただしい生活の中で、ときおり、フッと立ち止まり、自分の心の内を見つめる時があります。その時は、足を停め、おしゃべりを止めて、目を閉じて耳を澄ませます。

「古松般若を談じ 幽鳥真如を弄す」

騒がしい外の世界でなく、自分自身の心の奥底に向き合うとき、私たちの五感は、敏感に働くようになります。そして、五感が研ぎ澄まされるとき、わたしたちの目も、耳も、鼻も、皮膚さえも、全身で感じ取ることができるのです。そして、この時はじめて、老いた松が何を語りかけているのか、鳥のさえずりが何を歌い上げているのか、聞き取る準備ができるのです。

「般若」を談じると言うのも、「真如」を弄すると言うのも、結局それは自分自身のことなのです。

5月。新緑の季節に、足を停め、耳を澄ませ、自分の心に向き合ってみましょう。今まで聞こえなかった自然の声が聞えてくるかもしれません。

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