令和3年春の法話資料 桜花無尽蔵

令和3年春の法話資料

おうかむじんぞう
桜花無尽蔵

日に日に春を迎えて、境内の桜のつぼみも膨らんできました。
境内の桜の花は、樹齢60年以上の老木です。それでも、毎年、満開
の花を咲かせてくれます。それもつかの間数日で散ってしまいます。
「桜花無尽蔵」というは、そんな桜の花だからこそ無尽蔵の美しさ、
有り難さがあるという意味の禅語です。
「無尽蔵」とは、いくらとっても無くならないもの。無限のもの。
広大で尽きることのない徳のことです。まさしくこの世の真理を悟ら
れたお釈迦様の教え、仏教そのものです。
「無尽蔵」を桜の花に例えるのは、この世は一瞬一瞬、移ろいでい
て諸行無常の世であり、つぼみが開花し、散り、若葉が生え、太陽の
エネルギーをたくさんいただき、成長し、またつぼみが生まれるから
です。
この命は受け継がれ代わっていくということが絶対に変わらない真
実であるということです。
この世界の美しさはすべてのものが移ろいでいるので「本来無一物」
「是諸法空相」です。そう思うから返って開花したときの桜の美しさ
と有り難さに感動することができるのです。ずっと桜が咲きっぱなし
だったらそうは思えないと思います。
と同じく、私たち人間も、親から生まれ、成長し、歳を取り、いつ
かは死を向かえる。
桜は、どうせ散るから見る必要ないとは思いませんね。
人間も同じです。どうせ死ぬから何もしないという考えはよくあり
ません。
私たちは人間の命も限りがあると知っています。それを一番感じる
のは、亡き方から受けたご恩やご縁を思い出し、追慕や感謝の念を抱
くときです。
まさしく法事やお彼岸とはそういう機会です。いただいた命に感謝
し、自分が残された日々を一日一日、一瞬一瞬、大切に生きようと気
持ちをリセットする機会でもあります。
そのような思いで、今年の桜の花を眺めてみてください。

谷田山東光寺住職石田泰光合掌

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